学習方法や言葉と文化の関係等、台湾華語にまつわるあれこれ、たくさんお伝えします!特集記事の解説も、ここでまとめて読めますよ!

小学校・中学校

”〇〇國小” ”〇〇國中”って何の略?

台湾の駅やバス停には、”〇〇國小” ”〇〇國中”と名付けられているところがたくさんありますが、この学校の呼び名も、以下のように、台湾と中国でちょっと違います。

<小学校>
台湾華語:國小guóxiǎo(”國民小學”の略)/日常会話では”小学xiǎoxué”も使う
中国普通話:小学xiǎoxué

<中学校>
台湾華語:國中guózhōng(“國民中學”の略)
中国普通話:初中chūzhōng(“初级中学”の略)

ちなみに、高校はどちらも”高級中學/高级中学”を略して”高中 gāozhōng”と言います。もし、ただ”中學/中学zhōngxué”と言うと、中学校と高校を合わせたものとなり、通常は中高一貫校を指します。

guozhong

呼び方の変遷

”〇〇國小” ”〇〇國中”という台湾の呼び名については、何となく、日本の統治時代の名残かなと想像している人も多いと思いますが、これが使われ始めたのは、実は1968年からと意外に新しいのです。

中央研究院の《台灣現代教育的發展》によると、政策は次のように変遷しています。

1941年:日本で「国民学校令」が公布されたのに合わせ、“小學校”を”國民學校”と改称

1945年:戦後、“國民學校”を6年間の義務教育とし、それまでの5年制中学校及び4年制高等女学校は、“初級中學、高級中學”(各3年)に改組

1968年:”國民中學”を設立し、義務教育を9年間に延長

この流れを見ると、”國民學校”という呼び名は、確かに日本語から来たものであること、戦後の一時期、中学校は中国普通話と同じように”初中”と呼ばれていたこと等がわかりますね。

各学校の沿革を見てみると、この政策に歩調を合わせて校名の改称も進められています。まず、MRTの駅名にもなっている「中山國小」の例から。

1935年:“臺北市宮前國民學校”と改称

1945年:”臺北市中山國民學校”と改称

1968年:”臺北市中山區中山國民小學”と改称

大溪國中」の場合は、次のように改称されています。

1946年:”大溪初級中學”創立

1968年:”桃園縣立大溪國民中學”と改称

1975年:”武嶺國民中學”と改称

1992年:”桃園縣立大溪國民中學”と改称

台湾人スタッフのおばあちゃんは、小学校の話をする時に、台湾語で”國民學校kok-bîn ha̍k-hāu”と言っていたそうです。日本統治時代に小学生だった人たちは、その呼び方に慣れていたのでしょうね。